16.戦国大名はなぜ分国法を制定したのか。
(本文第42問対応)
▶ 解答例・視点・ヒント
- 成文化した規律に絶対的な権威を与え,それを精神的支柱として大名権力と大名支配の正当化を図りながら領国経営を安定的にすすめるため。
▶ 基本事項の整理
- 分国法には伊達氏の『塵芥集』,結城氏の『結城氏新法度』,今川氏の『今川仮名目録』,武田氏の『甲州法度之次第』,六角氏の『六角氏式目』,朝倉氏の『朝倉孝景条々』,北条氏の『早雲寺殿二十一箇条』,長宗我部氏の『長宗我部氏掟書』(=『長宗我部元親百箇条』),相良氏の『相良氏法度』,大内氏の『大内氏掟書』(=『大内家壁書』),三好氏の『新加制式』などがある。戦国大名は分国法の中に家臣の城下集住や喧嘩両成敗,私信・私婚の禁止,農民の逃散禁止などを規定して,家臣団統制と農民支配をすすめた。
▶ 補足・発展
- 分国法は,『御成敗式目』など鎌倉時代以来の幕府法や守護法,国人一揆の契約内容などを受け継ぎながら,領国経営のために必要な軍事・民事・刑事的規律を成文化するなど,中世法を集大成した感が強い。家臣を対象とした家法的性格の強い条文や,領民全体を対象とした国法的性格をもつ条文が混在しているのが特徴である。中でも『早雲寺殿二十一箇条』や『朝倉孝景条々』は道徳的な規範を成文化した家訓としての性格が強い。