9.平氏は西国に都落ちした。なぜ東国ではなく西国を選んだのか。
(本文第23問対応)
▶ 解答例・視点・ヒント
- 平氏は東国よりも西国方面に土地勘と勢力基盤があった,という視点で考える。
▶ 基本事項の整理
- 伊勢平氏は西国の国守を歴任しながら,瀬戸内~九州地方を勢力下におき,平清盛は西国の武士を家人に組織して影響力を拡大させていた。また厳島神社を一族の氏神のように崇敬し,精神的なよりどころとした。東国は当時,源氏の勢力下におかれていたため,平氏にとって適地ではなかった。
▶ 補足・発展
- 平忠常の乱後,東国には源氏勢力が伸張したため,平氏勢力は関東から後退した。その後平氏は,伊勢平氏と伊賀平氏を中心に権門に仕える軍事貴族として発展した。伊勢平氏の平正盛は因幡・備前・伊勢国守,子の平忠盛は播磨・伊勢国守,その子の平清盛は安芸国守となるなど,西国の国守を歴任しながら瀬戸内沿岸から九州地方に勢力を張り,西国の武士を家人として組織することに成功した。また平氏を精神的に支えた厳島神社も西国に存在する。平清盛は安芸国守となったころから厳島神社を崇敬したため,厳島神社は平氏にとっては精神的な支えとなり,氏神のごとき発展を遂げた。