7.武士はなぜ生まれたのか。
(本文第17問対応)
▶ 解答例・視点・ヒント
- 国司制度の変質や地方制度の混乱,盗賊集団の横行,国司の横暴化など律令制の弛緩に伴って治安が悪化したため,地方豪族や有力農民に武装の必要性が生じたほか,荘園自衛の必要性から名主の武装化も進んだから。
▶ 基本事項の整理
- 9世紀末ごろから,富豪の輩(ともがら)と呼ばれる地方豪族の中には武装して国司に抵抗したり自領を守ったりする者が現れた。また貢納物を集団で略奪する群盗も現れたため,国司の武装化も進んだ。治安の乱れやさまざまな紛争に対し,有力農民の武装化が進み,紛争鎮圧のために派遣された軍事貴族の中には現地に土着したまま武装する者も多くなった。桓武平氏と清和源氏は武士の二大棟梁と仰がれ,地方にも多くの武士団が組織された。開発領主や在庁官人などの地方豪族の武装化も進み,棟梁のもとに家子・郎党による武士団を組織して国衙の軍事力を担った。武士は都では滝口の武者(武士)として宮中を警備したほか,貴族や有力寺社の警備にも利用され,地方では押領使・追捕使に任命されて治安維持にあたった。
▶ 補足・発展
- 10世紀前半に日本の東西でほぼ時を同じくして起こった承平・天慶の乱は,地方武士の実力を中央政府に認識させる契機となった事件といえる。また1028~31年の平忠常の乱は,関東地方における源平勢力が交代する契機となった事件,1083~87年の後三年合戦は東国における源氏勢力の地位確立を決定づけた事件,1156年の保元の乱,1159年の平治の乱は武家の実力が公家の実力を凌駕した事件,1180~85年の治承・寿永の乱は本格的武家政権確立への過渡期にあたる事件といえる。