コミュニケーション情報について

英語によるコミュニケーション能力の重要性が叫ばれて久しい。しかし、コミュニケーション能力とはいったい何なのだろうか。文法的に正しい文をネイティブスピーカーのような発音で流暢(りゅうちょう)に話せることなのだろうか。おそらく、それだけではないだろう。

文法と発音はコミュニケーションを成立させる重要な要因に違いないが、場面に応じて、また、相手との関係なども考慮した上で、適切に言語を用いることも求められるはずである。

現実のコミュニケーションでは、話し手は聞き手に伝えたいことを常にそのまま伝えるわけではない。その場に相応しくない話題や相手を傷つけてしまうような内容であれば、遠回しな表現をすることも多いだろう。しかし、それでもコミュニケーションは成立している。たとえ、間接的な物言いではあっても、話し手は聞き手が自分の意図を理解してくれると期待し、聞き手もまた話し手の期待に応えるからである。

この話し手と聞き手の期待と深くかかわっているのが本辞典のコミュニケーション情報の中心となる語用論的能力である。より具体的には、個々の語、文、話し手と聞き手の関係、場面、話の内容等をふまえて、適切に言語を使用し、かつ、解釈する力といってよいだろう。

母語の場合、語用論的能力は日常の言語使用を通じて自然に獲得できることが多いが、外国語の場合、言語によって語用論的能力の前提となる文化的背景等が異なる場合も多いため、普段から意識して習得する必要がある。極端な場合、日本語では丁寧と感じられる言動をそのまま英語でのコミュニケーションに持ち込むと、英語の母語話者にはむしろ失礼だと感じられることもあるだろう。

このような語用論的な失敗は、発音や文法の間違いとは異なり、すぐにはことばの問題とは認識されにくい。そのため、ときには話し手の意図的な言動と解釈され、言語というよりは人間性の問題と思われてしまうことさえあり得るのである。これが、コミュニケーションにおいて語用論的能力が重要とされる理由である。

本辞典では、上記で述べた語用論的な情報を中心に、による注記およびコラムから成る豊富なコミュニケーション情報を収録している。「英語の真相」は、『コアレックス英和辞典』収録のコラムPLANET BOARDをまとめ直したものであり、英米在住の英語母語話者100余名を対象に実施した語用論調査の結果に基づいている。

本辞典におけるコミュニケーション情報は大別して以下のような情報から構成されている。

  • ① 言外の意味:
  • Unfortunately, he’s too academic.
  • 残念だけど,彼は学究的すぎる
  • 実務向きでないというニュアンスを持つ)
  • ② 発言そのものが謝罪、非難などの行為となるもの:
  • As if you didn’t know!
  • 知ってるくせに
  • 相手の提案・暗示などを非難する場合に用いる)
  • ③ 配慮表現:
  • (a)押し付けがましさを避けるもの:
  • be suppòsed to
  • ①(法律・約束・習慣などで)することになっている,しなくてはならない
  • 言いづらいことや助言をする際に、この形で一般論を述べる言い方が好まれる)
  • (b)積極的に相手に働きかけるもの:
  • Thánks ― you’re a stár! ありがとう,本当に助かりました
  • 「(何かにたけていて)素晴らしい」の意の褒め言葉だが,感謝の表現と併用すると感激の気持ちがこもる)
  • ④ 日本語の訳語にかかわるもの:
  • “Excuse me, you dropped your handkerchief.” “Oh, thank you.”「あの,ハンカチを落とされましたよ」「あら,すみません」
  • 相手に世話をかけた場合などは日本語の「すみません」に相当することも多い。この場合 I’m sorry. は使わない)
  • ⑤ 文化背景などの違いが関わるもの:
  • おもにコラムで扱う。
  • ⑥ 話者の態度:
  • 原則としてけなしてなどのラベルで表記した。
  • ⑦ 社会言語学的情報(sexismやpolitical correctnessといった社会の慣習と関わるもの)
  • ⑧ 仕草などを表す表現に関するもの:
  • cròss one’s fingers ; kèep one’s fíngers cròssed
  • (幸運・成功を)祈る
  • 厄よけ・幸運を祈るしぐさ)

一般に、辞書というものは言語に関する普遍の事実の記録であり、そのような情報のみを収録しているものと信じられている。しかし、本辞典に収録されているコミュニケーション情報は、具体的なコンテクストを無視してあらゆる場面にあてはまるといった性質のものではない。語用論的能力とはコンテクストに応じて言語使用を見つめなおし、個々の場において、より効果的な言語使用を実現する能力といえるからである。もちろん、国内外の文献に加え、独自に行った日英対照語用論調査も踏まえて、可能な限り多くの場面に適用可能なものを採録したつもりではあるが、あくまでも学習者諸氏が現実の場面において適宜応用すべき素材と考えていただければ幸いである。

(川村 晶彦)