24.世界恐慌が起こっている中で,金解禁はなぜ断行されたのか。
(本文第83問対応)
▶ 解答例・視点・ヒント
- 蔵相井上準之助は,国際収支の安定化のためには金本位制がもつ自動調節機能に頼らざるを得ないと強く確信し,金本位制を維持する以外に現況を打破する道はないという考えを堅持していたうえ,旧平価による解禁に対し,貿易業者や財界などからの強い要望があったから。また世界恐慌の収束について,楽観的な経済予測が発表されていたという背景もある。
▶ 基本事項の整理
- 国際為替相場を安定させるには,第一次世界大戦以前の状態に復したほうがよいという考え方は国際的に共通した認識であった。第一次世界大戦中に金本位制を離脱した日本は,戦後恐慌・震災恐慌・金融恐慌と立て続けに恐慌が起こっていたために,なかなか金解禁に踏み切れなかった。そうした中で浜口民政党内閣の蔵相に井上準之助が就任し,産業合理化・緊縮財政・金解禁を実施した。金解禁は国際為替相場の安定と輸出の増大を図るために100円=49.85ドルの旧平価で実施されたが,実質的に円高を招いたため輸出は縮小して輸入超過となり,農産物価格の下落や凶作などによって農家経済は窮乏化した(=農業恐慌)。旧平価による金解禁断行の背景には,円の国際的な信用低下を防ぐと同時に,企業の整理・淘汰を通して日本経済全体の構造的改善を図る狙いもあった。当時は世界恐慌について,「大げさな不況にはなるまい」とか「まもなく状況は好転する」といった無責任で正確さに欠ける経済予測が発表されたことも,油断に拍車をかけることになった。
▶ 補足・発展
- 金解禁と世界恐慌の二重の打撃を受ける中で,国内では不況が深刻化した(=昭和恐慌)。それにもかかわらず,三井・三菱などの金融資本は金輸出再禁止後の円安を見込んでドル買い(=思惑買い)を進めて巨額の利益を収めた。不況にもかかわらず財閥のみが繁栄を誇る状況になったことが民間右翼や労働運動・社会主義運動家を刺激することとなった。井上財政は,結果的に財閥などの金融資本の意向を反映させた政策となったために,不況を招いた張本人として前蔵相井上準之助や三井合名会社理事長団
磨らが殺害される事件に発展した(=血盟団事件)。